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平成2年1月16日空は雲一つ無く晴れ渡った冬晴れの朝です。
気温は低く空気は冷え切り、柔らかな土の所では霜柱が5センチにもなるほどです。
7時を過ぎやっと昇り始めた日の光は、8時頃になってようやく暖かさを注ぎ始め、風が全く無かったため日の光が注いでくれるぬくもりは時間と共に覆い被さる感じで、防寒着1、2枚の代わりをしてくれる様です。

『カタカタカタッ』、『ビッシューッ』、『がッタン』けたたましい機械音が、かなりの音量で静けさを打ち破ります。
人の気配はまだありません。
暫くすると『ブーン』と、少し離れた所を、小さいトラックが走っていきました。
やっと人が動き始めた様です。
ここは東京近郊川崎市にある「花と緑」をキャッチフレーズに60年近くも歴史の有る遊園地の奥の駐車場なのです。
多摩川の河川敷を超えてすぐの海抜80メートル程の丘陵地にあるこの遊園地は、都心からの距離が近いにも拘わらず、緑が一杯で、残された自然も十分に感じる事が出来、観覧車等の高さのある遊戯物は、関東平野、都心を一望できる眺望を誇る、立地にこの上なく恵まれたプレーパークなのだ。

この駐車場も2方を小高い山に囲まれ、もう一方は緩やかな丘で、東の方の1方だけが開けた窪地の奥のような場所であった。
僕達5匹は昨日の極寒の夜を、ここで過ごしたらしい。
明るくなるまで目が醒めなかったのは、寒すぎてそれぞれが身体を寄せ合い、お互いの身体の下に潜り込ませようという防寒意識でいっぱいだったからなのだろう。
40センチ角程の小さな段ボール箱に古座布団が敷かれた一夜の宿は、5匹の体温で結構暖まっていた。
僕達5匹はここに捨てられていたのである。
産まれて2ヶ月目ぐらいか、それまでの飼い主ののっぴきなら無い事情で捨てられたのであろう。
道端でなく、山奥や河川敷でなく、この遊園地の奥の駐車場を選んで捨てられたのは、それまでの飼い主の愛情が、どうしても誰かに育てて欲しいと考えた末に、ここを選ばせたのであろう。
山奥や河川敷で野犬化してしまうのでなく、道端から道路に出て事故に遭わない様にと言う精一杯の選択だったのであろう。
昨日の夕方は泣きの涙でこの場を離れたのかも・・・。

僕達5匹はまだ産まれて2ヶ月、飼い主の愛情を感じるまでには成長していなかった。
5匹の兄弟がジャレ合うだけで良かったのかも知れない。
朝目が醒めても人気の感じられない事には何の違和感もなく、寒さを吹き払う身震いだけで、清清しい朝を受け入れていた。
昨日は1月15日成人式の祭日であった。
遊園地も冬の閑散期としてはそこそこ賑わったのであろう。
この第5駐車場へ入場者の車が案内されるのは、3000人以上の入場者があった時だけなのだ。
秋の運動会シーズンには、企業の運動会場として貸し出されることもあり、地面は土のグランドで、車寄せも石灰の白線で描かれただけの臨時駐車場なのである。

僕達にとって土のグランドであったことも幸いした。
僕達の中で少し身体の大きいお兄ちゃんが箱から出て周りを歩き始めました。
僕と弟は箱の中から首を出し、お兄ちゃんを見ていました。
その内お兄ちゃんは広ーい土のグランドを走り始めました。
とても気持ち良さそうで楽しそうで、すぐ僕達も後を追いました。
誰かが誰かに追いつくと、馬乗になりジャレ合います、そして又走り出すのです。
静かな誰も居ない自由な空間がそこには有りました。妹達も加わり皆で大運動会です。
一生懸命走り回りました、それでもグランドの5分の1ぐらいしか制覇出来ていません。
走り疲れてグラントの端の方の叢の方へトボトボ歩いて行くと、ズホッと足が土にめり込む所があります。
本格的に注ぎ始めた日の光が霜柱の力を弱め始めたところのようです。

その先には1段下りたところに、この駐車場の2倍程もある広大なグランドが広がり、1方だけ開けたその方向の更に向こうの方には、何やら遊戯機らしい鉄骨の足組みが、かなりの向こうの方に見えています。
『ガシャーン、カタ、カタ、カタ』『シュウーッ』『ゴットン、ゴトッ、ゴトッ、ゴーッ』けたたましい機械音が、「キャン、キャン」と言う僕達の喜声だけが響いていた、自由な空間を引き裂きました。
あまりの音に驚き、足を止め、僕達兄弟はお互いの位置を確かめるかの様に周りを見渡し、それぞれの姿を確認すると、今度はその機械音のする方へ耳を澄ませます。
その音が近づいてくる物なのか、危険が近づいているのかの確認でもしているかの様に。
でもまだそれ程の観察力も洞察力も備わっていない僕達は、その騒音にもすぐになれてしまい、又遊び始めました。

9時を過ぎると奥の方へ行く車も2、3台続く様になりました。
この遊園地は10時開園の様です。
それまでの様々な機械音は色々な遊技機の始業点検の音だった様です。
遊び疲れ、喉もカラカラになってしまった僕達はどうする事も出来ず、なんとなく又昨日一夜の宿の周りに集まり始めました。
産まれて2ヶ月、母犬のそばでお腹がすけばオッパイをも探り、飼い主が用意してくれる水と餌に、何の不住も感じずにこれまで来たのです。
喉が本当に乾いた時、何も差し出される物が無い時、どうすればいいのか全く分らなかったのです。
僕達はなんとなく、つかず離れずの距離を保ちながら、漠然と時を過ごしていました。

10時近くになって奥へ行った何台かの車が又戻り始めました。
その中の一台の軽トラックが、30メートルほど離れた道路から道を外れこっちへ向かって来ました。
車の窓から身体を乗り出し、僕達を確認すると「おーい、おーい、なんだお前達、どうしたんだ」と、一人の若い男の人が車から降り近づいて来ました。
「えーとっ、1、2、3、4、5匹も一緒か。」「なんだまだ生まれたばっかりじゃないか。」「ああ、あっ、捨てられちゃったんだ。」
と、この車を運転してきた一人の青年が、一人しか居ないのに盛んに独り言とは思えない口調でしゃべりつづけます。
彼の名はT君、この遊園地の園芸課に勤務する、植物や動物好きの正社員の青年です。
幸い僕達には皆、前の買主のお陰で人見知りをしない人懐っこい性格が芽生え始めていたので、すぐ彼の方へ駆け寄って行きました。
尻尾を振り振り、招き出された手をペロペロ舐め始めました。
空腹と喉の渇きを一気に潤す母犬の乳房を感じるには、彼の手は園芸課と言う彼の仕事柄、ゴツゴツと硬過ぎました。
でも、人の暖かさだけは十分に吸い取れたのです。
元来生き物の好きな彼は、僕達を順番に抱き上げ、朝日ににお腹の部分を翳しながら「おっ、お前は付いてるな、お前も付いてるなッ、お前は付いてないか。」と観察を始めました。
そして、観察が終わった者から順番に傍らにあった段ボールに入れられていきました。
最後の妹の観察が終わると全員が揃っている事を確認しながら、「ようーしっ、しょうがないなあ」と言いながら僕達の入った段ボールを持ち上げ軽トラックの助手席に運んだのです。
僕達は遊び疲れたのと、ちょっと前まで不安に苛まれそうになっていた事を忘れさせてもらえた、なんとも言えない安堵感で、されるがままになっていました。
彼は「お腹が空いているのか、」「喉は乾いているのか」とハンドルから離した片方の手を僕達に翳しながら、又独り言で話しかけてきました。
彼のゴツゴツした指を兄弟で分け合うように舐めまわすと「ようーし、よし、よし」と皆の頭を撫でてくれました。

100メートルほどグランドのわき道を器用な片手運転で奥の方へ行くと、ビニールハウスや園芸用の資材置き場があり、彼は熟れた手つきで車を止め、資材置き場の一角の軒下に僕らを降ろしたのです。
彼はすぐに鉢植えの下に敷く30センチほどの鉢カバーに、水を入れ運んで来てくれました。
僕達はキョロキヨロする間もなく箱から出て水を飲み始めました。
暫く「ぺちょぺちょ」と音を立ててのみ干す僕達の傍らにいた彼は、「お腹も空いているんだろう」と、更に上の詰所のようなところへ行き、口の開いた牛乳パックを持ってきました。
もうひとつ鉢カバーを用意し、そこへ残っていた牛乳を注ぎ入れ「おいっ、こっちの方がいいぞっ」と、あのゴツゴツした手で誘導してくれたのです。
美味しかった、本当に美味しかった、空腹と乾きで不安になり始めていた僕達のお腹へ、冷たいでもとてもホットなミルクが十分に溜まり始めたのです。

ちょうど僕達皆がミルクを飲み干し、飢えと渇きを満たし、傍らにいてくれたTさんにあまえ始めた頃、詰所らしきところから、Tさんの先輩で上司の園芸課主任のNさんが目を細めながらやって来ました。
「どれどれ、この子達か」とTさんの報告を確認に来たようです。
「おいおい、本当だまだ産まれたばっかりか」と、しゃがんで僕達の相手をし始めました。
その内結構年配の人達が二人三人と集まってきました。この園芸課のスタッフらしい。
中には叔母さんもいました。「あらっ、まあ可愛そうに、捨てられちゃったの、可愛いねえ。」と、それぞれに兄弟をあやしてくれていました。
遊園地の閑散期の休日の翌日、これといって差し迫られた、時間を気にしなくてはいけないような仕事もないのであろう、僕達を話題に井戸端会議まで始まってしまったようです。
気がつくと先程のけたたましい機械音も鳴り止み、遊園地らしい軽快な音楽の園内放送が聞こえ始めていました。
遊園地が開園したらしい。

N主任がそれとなく、その場にいた皆を仕事へ促すためであろう「さあっ」と、掛け声と共に立ち上がると、命令された訳でもも無く、おじさん達はそれぞれの仕事場へと足を向けました。
後のことはT君がと暗黙の了解を得つつである。
N主任も詰所へ戻ろうと僕達に背を向けかけた時、もう一度Tさんと僕達に目を落とし「やっぱり、保健所に連絡しなけりゃしょうがないだろう」と、出されてもいない質問に答える様に言放ったのです。
今までにも年に1、2回棄て犬騒ぎは無いわけではなかった。
近所の迷い犬であったり、老犬であったり、吠え犬であったりで、飼い主が現れるまで1週間程ここで面倒を見、その後保健所に取りに来てもらうのである。
保健所でも1、2週間ほどの預かり期間を超えると処分される様である。

Tさんも宣告されるであろうと、予想していたとうりの言葉に「そうっ、そうですねえ。」と、至って当たり前風の受け答えを、さらりとしてのけた。
しかし、二人の会話には何時も一緒に働く者同士の意思の疎通と言う物が感じられないのだ。
それは、あまりに僕達か小さすぎて愛らしすぎて、その後の1、2週間の運命を決めてしまうには、あまりに早急過ぎる結論を先出しているにすぎないのである。
つまり、二人の心の中では、僕達が処分されるであろうと言う仮の話しは無いものとした了解済みの会話なのである。
仕事を仕事として片付けていかなければならない上司のN氏にしても、5匹の産まれて間も無い僕達のあどけない姿は、テキパキと判断し指示を出す仕事は出来なくなってしまっているのだ。
何かNさん自身、自分の想像とは違う方向へ行ってしまう結果を期待しているような・・・・。
そんな中「でも、ちょっと待ってください。誰か犬を欲しがっているいる人を探しますから。」Tさんが口を開いた。
「うん、そうねえ、いるかなあ。」と、期待を押し殺せない様子で「でも、報告だけはしなくちゃならないからなっ。」と、上司らしい口調で応答し、僕達に又目を細めた。

N氏が詰所に戻ると僕達とTさんだけがその場に残された。
Tさんは、なれた様子で資材置き場の奥に立てかけてあった金網を持ち出し、開いたスペースに何かを組み立て始めた。
僕達はTさんしか居なくなったこの場所で、彼の仕事の邪魔をする様にまとわりつき甘えた。
出来上がったのは、それまでも使っていたのであろう、高さ50センチ1.5メートル4方程のゲージである。
中の半分位のところにはボロ毛布が敷かれていた。
傍にまとわりついている僕達をその中に入れながら、「ここで暫くおとなしくしてな、後で餌を買ってきてやるからな。」と声をかけ、少し遅れてスタートの仕事場へ向かった。
彼の頭の中では、片付けなければならない仕事のこと以上に、僕達の里親探しの思いが優先し始めていた。
遊園地に働いている仲間の顔を思い浮かべ『あの人は犬が好きそうだ、でも確か既に飼っているなあ。あの人はどうだっけ・・・・。』と思い浮かべるのである。
僕達はそんな物語が進んでいる事にはお構いなしで、取り敢えず甘えさせてくれる人が居なくなったゲージの中で、兄弟夫々が思いのままに居眠りを始めた。
僕達にとって1週間の限定で提供された、屋根つきの宿である事など知る由も無く、とても快適な広さも充分な住まいであった。