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4月3日お母さんが連絡をした、王禅寺にある犬猫墓苑から僕の亡骸を引き取りに来た。
11時ごろお父さんお母さん、そしてお別れをしたいとお花を持って駆けつけてくれた、僕のお気に入りのKさんの3人に見送られ、17年間住み慣れたこの家から旅立つ事になった。
満開の桜を散らそうと言うのか、冷たい雨が降り始めていた。
引き取りに来てくれた墓苑の方がとても良い人で、お父さんお母さんの傷みをとても良く分かって貰えた様で、こちらにお願いして良かったと思っていたようである。
翌日火葬され、この墓苑に埋葬される事になった。

こうして僕の一生は終わりを迎え、触れ合う事の出来た夫々の人々心の中にだけ、生きて行くこととなったのである。
翌日お父さんは僕の写真をお仏壇の前に飾り、その前に僕が元気な頃お散歩の時何時も使っていた、首輪とリードを置いて僕の祭壇を用意してくれた。
お母さんは僕のお気に入りのソフトタイプのビーフジャーキーを供えてくれた。
そして、お花もいっぱい飾ってくれた。
僕の訃報を聞きつけたお母さんのお友達が、お花を持ってお母さんを慰めに来てくれた。
この一週間、折に触れてはお母さんは涙をティッシュで拭いていた。
お父さんは今まで通りにお仏壇にお線香を上げに来ます。
そして、必ず僕の写真に目を落とし、微笑む様に何かを確認している。
そう、僕が確かにお父さんの心の中で生きている事をである。
そして、悲しまない決断をしているのです。

一週間が経ち仕事から帰って来たお父さんが何時もの様にお線香を上げに来てくれた。
少し長く手を合わせ、お経のさわりの部分を口ずさんでいた。
今日はお母さんがお仕事の日で、先に帰ったお父さんは「ただいま」と、話し掛ける相手のいなくなった我が家に帰る寂しさを感じていた様である。
口の聞けない僕でも、しっかり話し相手になって居たのだ。
9時前に帰って来たお母さんに「今日は初七日だね、カラオケでもやってやるか」と、話しかけた。
おばあちゃんの初七日の法要の時は、故人が好きだったからと親戚縁者全員でカラオケをした事を思い出し、まだ少し寂しげなお母さんを立ち直らせ様と思っての提案だったのである。
お母さんは「ええっ、そうねえ、でもリキはカラオケを嫌がってたからねえ」と却下され、その日はお線香を上げるだけになってしまった。

2週間が経ち二七日の日、朝から雨が降っていた。
あんなに咲き誇った桜も殆ど散り、僅かに残った花びらが雨の雫の重みに絶えきれず落ちていく様であった。
お父さんはお母さんを仕事前に墓苑に寄ろうと誘った。
お父さんはあざみ野の銀行周りで仕事場に行く時何時も通る道で、その場所はよく知っていた。
二人は始めて訪れたこの墓苑で様子が分からず先ず受付へ行ってみた。
お父さんは「今月の2日に家の犬が亡くなりこちらにお願いしたのですが」と、受付の女性に聞いてみた。
その女性は神妙な表情で「それはそれはご愁傷様です。それでご案内のお手紙をお持ちになりましたか?」と、尋ねた。
お父さんは「いえ、頂いてはいましたが持って来ませんでした」と答えた。
「分かりました、ではお電話番号をお聞かせ下さい」と、言われ答えると、
「・・リキちゃんですね」と、電話番号を入力したパソコンのモニターを見て答えてくれた。
「ええ、そうです。こちらの様子が良く分からないもので」と、告げた。
対応してくれた女性は「それでは、ご案内致しますので、どうぞ」と、親切に墓苑内を案内し、今後訪れた時どうすれば良いのか詳しく説明をしてくれた。
「一年間はこちらの方にお骨を保管させて頂きます」と、言われた本堂のような部屋に入り、4月の祭壇の中に『・・リキ霊位』の、お札を見つけお父さんは「おお、大切にしてもらってるじゃない、よかったよかった、有難うございます」と、その女性にお礼を言い、お線香を上げた。
お母さんは叉少し目に涙を溜め、お父さんに続いてお線香を上げた。
周りの祭壇にお花が供えてあるのを見て「ああっ、お供え持ってくれば良かったねえ、ごめんね」と、言う言葉に案内をしてくれている女性が「好きだった物などお供えして頂いて結構ですよ」と、言葉を添えてくれた。
そして、外の駐車場の上の立派な石塔のある所へ案内され「お参りに来られた時は、こちらの中からリキちゃんのお塔婆を出して頂いて石塔に立て掛けてお参り下さい」と、4月の中から真新しいお塔婆を引き出してくれた。
そこにもしっかり『・・リキ霊位』と書かれていた。
お母さんは僕の魂がこの世に存在したと言う証が出来たと少しホッとした様である。
そして、悲しみから立ち直るきっかけを掴んだ様であった。

こうして僕のお墓も出来、僕がこの世に生を受け、触れ合う事の出来た人々に大事にされ、死んでなおその魂までも大切にされる事となった。
生ある物には魂があり、魂を大切にする心がその人にある限り、人は優しくもなれ、幸せにもなれる。
僕は今なおお父さんのパソコンの中で生き続けているが、何時までも僕の魂が輝く物であって欲しいと願う。
そして、人の世のいたるところに幸せが満ちていて欲しい物である。